自殺願望からの脱出方法
次女が私が入院している時に骨接したり
学校に行くのを嫌がって
主人が、自転車の後ろに次女を乗せて、前に息子を乗せて
学校に送って行ったりして、それを、何日も続けて
主人は、大変な思いをしたのです
毎日のように死にたいと思っていました
ちょうど、50年ぶりの東北の暑さと言われた年で
私は、暑さが苦手で、私のアパートは
2階で屋根がトタンなのです
日中は40℃を超える暑さでたまらないのです
主人の妹が、お姉さんは妊娠中で大変なのだから
少しでも、涼しく過ごせるようにと
クーラーを買って部屋に付けるようにと
気を使ってくれてクーラー代を送ってくれたのです
私は、その頃、後でわかったのですが肝機能が悪かったみたいで
身体がだるいのです、それに加えてうつだったのです
ただ、病院に行っていなかったのです
1回だけ、病院に連れって行ってもらって
抗うつ薬を飲めばいいですよと
言われたのです、今は安定期だから大丈夫ですと
言われたのに私は、何故か抗うつ薬を
飲むのにためらったのです
妊娠中の子供に薬の影響はないのだろうか
大丈夫だと言われるけれども
本当に子供に薬の影響は、大丈夫だろうか?
死にたいと思っている私がお腹の中にいる子供の事を
心配しているのです
だから、うつが良くならないのは当然なのです
次女の妊娠中はずっとうつ状態のままでした
いつも死にたい、死にたいと思っていました
よく、次女はまともに生まれてきたと思います
いつも、いつも死にたいと思っていたのに
お腹の中で、それをどの様に聞いていたのでしょうか
次女は産まれた時、本当に小さくて
よく、無事に産まれてきたと思いました
私が、いつも死にたいと思っていたのに
それを、お腹の中で聞いていたのに
無事に産まれてきたのは、何と感謝な事でしょうか
次女については忘れられないことがあります
小学1年生の時の初めての運動会のことです
私はうつで主人は仕事で運動会に行けなかったのです
運動会が終わって帰って来た次女に
「運動会はどうだった、みんなのお父さん、お母さんは来ていた」
と聞きました。そうしたら二段ベッドの下の方に寝ていた私の所に
もぐりこんで来て、「わーん」と泣き出したのです
初めての運動会、父親にも母親にも来てもらえない
どんなにか辛かった、悲しかったか、次女の涙にそれが現れていたのです
私には3人の子供がいます。どの子もかわいいです
しかし私は3人の子供をみんな傷つけてきました
子育て失敗者です。しかしそんな私の子育てでも
子供たちはたくましく育ってくれました
子育ては誰でも、それぞれ大変です
ましてや、私は病気があります
そんな中で無事にどの子も元気に育ってくれました
それは神様の守りがあり、主人の大きな協力があってのことです
感謝します
クリスチャンにとっての自殺は最大の罪です
それでも、そんなことはその時にはどうしょうもないのです
どのような死に方をすれば一番良いか車に乗って
港から車ごと飛び込もうかとか
とにかく、そのような事ばかり考えていました
そして、それを主人にも言うのです「一緒に死んで」と
主人はたまらなかったでしょうね
思い詰めている、私に何を言ったら良いか
実際、何回か実行しようとしたことがあるのです
さすがに、子供は巻き込めなかったです
でも、お腹の中には次女が、いたのです
長女を人に子供を預けて、私と主人は
実行しょうとしたことがあるのです
主人は死ななくてはいけないのかと
疑問を持ちながら、苦しんでいる私に
付き合おうとしていたのです
何と主人は良い人でしょう、私は主人の命まで
次女の命まで奪おうと、していたのです
でも、今、考えると神様の守りだったのでしょう
私は、死にきれなかったのです
何度か、実際に実行しょうとしたことが
あるのですけれども、その度に
何故か、だめなのです
私は、昔から自殺願望というか
死にたくなるのです
もちろん、うつの時死にたくなるのは
当然ですけれども
うつの時は、死にたくなっても
その気力、体力も無いのです
だからよく聞くのは自殺する人は
うつ状態の時ではなくて、躁状態の時に
自殺をすると聞きます
躁状態の時は怖いものがない状態ことが
多くあります、だから死も怖くないのです
私も、うつで何も出来なくて寝ていた時に
死にたいと思って、死のうと
思うのだけれども、死ねないのです
必ず、うつが良くなることは分かっているのだけれども
うつが良くなっても、また、うつがくる
結局、繰り返すのだ、それが辛くて
死にたいと思うけれども、
うつの時は気力、体力がないのです
躁の時に思い切って死のうかと思うのです
でも、不思議なもので躁の時は
もう病気は治ったような気分なのです
だから、時々ここから飛び降りたら
死ねるのかと思います、でもそれも出来ないのです
だから私は、死ねないのです
昔、私の実家はすぐ隣に線路が通っていたのです
私は、その線路に飛び込んで死にたいと思っていました
鉄道自殺は、大変なのです
大変な額の請求が来るそうです
列車を止めると言うことは
列車のダイヤを変えることです
孫、子の代まで請求がくるそうです
それでも死にたいという思いになった時は
そんなことは考えていられません
でも、私はクリスチャンになってからは
田原米子さんという方の話を聞いて
その方は大好きなお母さんが亡くなって鉄道自殺をされたのです
それでも片手は指が三本残り、片足は義足で生き残られたのです
最初は、自分のその状態を受け入れられなくて
苦しんで、睡眠剤をためて、また自殺をしようと計画していたのです
そうしている時に田原青年と出会うのです
田原青年はその時にキリスト教の神学生で
米子さんにキリストの救いを延べ伝えられたのです
米子さんは、キリストの救いを受け入れて
クリスチャンとなりその時に
「だれでもキリストにあるならばその人は
新しく造られた者ある、古いものは過ぎ去った
見よ、すべてが新しくなったのである」
(新約聖書)コリント第二手紙5章17節
この御言葉が米子さんの心に響いてきたのです
それまで、手が三本しか無いと思っていたのが
三本もあると思えるようになりました
私はその話を聞いた時に
手が無くなり、足が無くなっても
私は死なない、死ねない
神様は、私のことを死なせない
私は神様の御手の中にある
だったら、今は苦しいけれども、もう少し
我慢しよう
これより、苦しいことは、そんなに無いだろう
「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。
私はそれであなたのおきてを学びました」
(旧約聖書)詩編119篇71節
確かに、それからも苦しいことはたくさんありました
これからも苦しいことはあると思います
それでも私は、確かに神様の御手の中にありました
どんな時も、私は神様に導かれて来ました
これからも神様は、私の人生を導いてくださると思います
だから私はこれからも私の信じる神様、イエスキリストを
信じ続けていきたいと思います